第二十四章『骨の名前、声にならなかった職業』【明治葬儀社編】

第二十四章『骨の名前、声にならなかった職業』
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火葬場で名前すら覚えられない遺骨と向き合う日。旅人は、身寄りのない故人たちの書類に目を通すうち、職業欄に書かれた“ひとこと”に心を動かされる。名もなき人生の重みを受け止める章――。

― 火葬場で出会う名札のない人たち ―

 灰色の空が低く垂れ込めた日だった。
 東京・東部の火葬場。
 朝からの細い雨がまだ残っていて、地面はじんわりと湿っていた。

 

 「風野くん、今日のこの便、役所案件。ひとりで大丈夫か?」

 上司からそう声をかけられたとき、旅人はただ頷いた。

 

 遺体はすでに安置されており、式も弔問もない。
 火葬台帳の書類には、“氏名不詳・推定70代男性”とだけ記されていた。
 身元不明。所持品は小銭入れと古い名刺入れ。
 住所は簡易宿泊所、病歴あり、保証人なし。

 

 旅人は控室で、書類のコピーをめくった。
 死亡診断書、搬送記録、行政とのやりとり。
 そのなかに一枚だけ、かすれた文字の職業欄があった。

 「元・製本工」

 

 旅人の手が止まった。

 

 製本工――
 本の背を、糊で綴じる人。文字と紙を“まとめる”仕事。
 言葉に直接は触れないが、誰かの言葉を“支える”存在。

 

 旅人は、ふと頭を下げた。
 誰に向けたものでもない、無言の感謝だった。

 

 火葬炉の前に棺が静かに運ばれる。
 花はない。遺影もない。
 けれど、旅人は出棺の前に、控室から折り紙をひとつ持ってきた。

 それは、通夜の灯籠流しのときに、美月が余った紙で作った小さな舟だった。
 裏には、三好佳乃がふざけて書いた言葉が残っていた。

 「よくがんばりました」

 

 棺の上にそっと置かれたその舟は、まるで“誰かがここにいた”ことを伝える印のようだった。

 

 炉の扉が閉まると、旅人はしばらく黙って佇んだ。
 焼かれてゆくのは骨ではなく、“書かれなかった人生”そのものなのかもしれない――
 そんな感覚があった。

ー製本工を知る男ー

火葬が終わった帰り道、旅人は搬送の報告を済ませるため、区の福祉課に立ち寄った。
窓口で書類を提出していると、ロビーの端に座る年配の男性が、ふと声をかけてきた。

 

 「……もしかして、今日の火葬、あの今戸の人?」

 

 「……はい。身寄りのない方で、職業欄に“製本工”と」

 

 「……やっぱり、そうか。昔、同じ工場で働いてたんや。名前はな、三木浩司。寡黙な人やった」

 

 旅人は驚き、男性の方へ一歩踏み出した。

 

 「三木さん、どんな方でしたか?」

 

 「……背が低うてな。よう製本台の上に乗って作業しとった。
 しゃべらんけど、機械の音のリズムに合わせて、糊をすーっと引いていくのが上手かった。
 “本は、誰かが読んだあとも、静かに待っとるもんや”って、そんなこと、たまにぽつりと言うとったな」

 

 旅人は、胸の奥に何かがじんと滲むのを感じた。
 今日送った“名もなき人”に、ようやく輪郭が与えられていく。

 

 「亡くなったあとも、ちゃんと丁寧に送りました」

 

 その言葉に、男は小さく目を伏せた。

 

 「……ありがとう。あの人、独りやったけど、本を閉じるみたいに、静かに暮らしたかったんやと思う。
 最後に、誰かが“とじてくれた”って聞いて、ちょっと安心したわ」

 

 旅人は黙って頷いた。

 

 その夜、旅人は黒革の手帳にこう記した。

1995年11月10日、火葬場。
小生、名もなき人の火葬に立ち会う。
書類に残された職業――“製本工”。
誰かの言葉を束ね、形にしていた人。
それを、誰も知らないまま送るのは、静かな痛みである。

思うに、名とは呼ぶためのものではなく、“覚えているため”にあるのかもしれぬ。
今日、小さな舟を棺に入れた。
それは、こちら側から出す言葉の代わりだった。
「よくがんばりました」――たとえ誰にも届かなくても、何かを渡したいという気持ちが残った。

……ふと思った。
もし自分が死ぬとき、こうして名もなく送られるような人生だったとして、
誰か一人でも「よくがんばった」と舟を置いてくれたら――それで、救われるのかもしれない。

そう思った瞬間、胸の奥に、ぽつんと灯りがともった。
自分が“見送る側”にいるのは、もしかすると、誰よりも“見送られたかった”からなのかもしれない。

…追記。
火葬場で送った“元製本工”の方は、三木浩司さんという名だった。
かつて同じ工場で働いた人が、“あの人は本を閉じるように暮らしていた”と語った。

言葉にならなかった人生も、誰かが覚えていれば、確かに“あった”と言える。
名前とは、思い出す人の中で呼びかけ直されるものだ。
今日、小生ははじめて“骨に名を呼ぶ声”を聞いた気がする。

 机に置かれた白紙の封筒に、旅人はそっとペンでこう書き加えた。
 「元・製本工の三木浩司様へ」

 それは、誰にも届かない手紙だった。
 だが、その宛名はたしかに、灯りのように浮かんでいた。

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悠々自適なアラフィフライフを楽しむ"よこみ"との何気ない日々を綴るブログ。

こんにちは!私たちは、アラフィフの"Tabibito"と、パートナーの"よこみ"です。充実した人生を送りながら、穏やかな時間を共に過ごしています。

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