葬儀のあとの夜、美月と旅人はひょんなことから一駅分を歩くことに。会話の中に浮かぶそれぞれの“見送れなかったものたち”。足音を交わすことで、ふたりの距離が少しだけ変わる――。
― ふたりの足音、すこしだけ重なる日 ―
葬儀が終わったあとの午後。
空は澄んでいたが、陽の傾きが早く、舗道の影が伸びていた。
式場の片づけを終えた帰り道。
車に乗る前、美月がふと旅人に声をかけた。
「……電車で帰ろか。次の駅まで、歩いてみいひん?」
旅人は少し意外に思ったが、頷いた。
理由は訊かなかった。訊かなくていいような空気が、そこにあった。
歩き始めたふたりは、住宅地を抜け、小さな遊歩道に出た。
並んで歩く。足音がリズムのように響いた。
「さっきの遺族の方な、最後に“ありがとう”って言うたとき、ほんまに声震えとったな」
「うん……あれは、胸に残りますね」
「旅人さん、今日、最後に花束渡してくれたやろ? あれ、私が言い出す前に動いてたやん。……なんか、先こされて、悔しかったわ」
「え? そうなんですか」
「うん。でも……なんか、ええなと思った。
“先回り”やなくて、“同じタイミング”で動けたの、たぶん、初めてやった気がする」
ふたりの間に、しばらく沈黙が流れる。
けれど、それは気まずさではなく、景色と呼吸を共有するような静けさだった。
途中、小さな橋の上で、美月が立ち止まった。
「……うち、小さい頃な、ここでよく家族で散歩しててん。
お父ちゃん、無口やったけど、帰りにだけアイス買うてくれてな」
「……それ、思い出す日って、ありますか?」
「ある。今日みたいな、式がきれいに終わったとき。
……なんでかわからへんけど、そういうときって、誰かのこと思い出してまう」
橋の上から見える川は、夕陽を受けてゆっくり流れていた。
水音が遠くから響いてくる。
「旅人さんは、……誰か思い出すこと、ある?」
旅人は少しだけ考えたあと、小さく答えた。
「……“自分が言えなかった人”のこと、かな」
「言えなかった、って?」
「ようやく“ありがとう”とか、“すまんかった”とか、“ほんまは”って言葉が出てくるようになったの、最近やから。
昔は、そういうの全部、黙ってしまってた」
美月は黙って頷いた。
「それ、わかるな。
……せやから、こうして誰かと並んで歩くって、ちょっとずつ自分を修復してる気がするねん。わからんけど」
その言葉は、風よりも柔らかく旅人の胸に落ちてきた。
駅のホームに着くころ、ふたりはあまり言葉を交わさなかった。
でも、肩の位置と歩幅は、最後までぴたりと揃っていた。
その夜、旅人は手帳にこう記した。
1995年11月15日、夕刻。
小生、美月と一駅ぶん、川沿いの道を歩く。
遺族の沈黙のあとに続く沈黙は、決して空白ではない。
それは、声にならない“共鳴”のようなものかもしれぬ。並んで歩くことで知る呼吸、聞こえ方の違う足音、沈黙のなかの言葉。
今日、自分は誰かと“同じ静けさ”を生きた。……ふと、心のどこかがほどけた気がした。
これまで、小生はいつもひとりで歩くことを選んできた。
誰かに歩幅を合わせれば、置いていかれるか、自分を失うような気がしていた。だが今日、“揃ってしまった”歩幅のなかに、自分を見失う感覚はなかった。
それどころか、自分がようやく“誰かと歩ける人間かもしれない”と、初めて思った。そのことが、どうしようもなくあたたかかった。
静かな道の、そのぬくもりの上に、自分という人間がようやく立っていた気がする。
