第二十六章『骨壺の持ち方、声をかけるタイミング』【明治葬儀社編】

第二十六章『骨壺の持ち方、声をかけるタイミング』【明治葬儀社編】
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若手スタッフ・田代蓮と現場を共にすることになった旅人。緊張でぎこちない彼に「何を受け渡せるか」を模索する旅人は、自分が初めて現場に出た頃の手の震えを思い出す――。

― 若手に託すこと、託されること ―

その朝、旅人が事務所に入ると、いつもより早く到着していた田代蓮がスーツの袖を直していた。
 細身の体に新品の制服はまだ馴染んでおらず、どこか借り物のように見えた。

 

 「旅人さん……今日、自分、骨壺……持ちます」

 

 その目には、不安と、それ以上の覚悟が同居していた。
 聞けば、入社から三ヶ月。初めて「喪主の正面に立つ日」だった。

 

 出棺式の現場は、荒川沿いの古い平屋だった。
 障子の紙が日に焼けて黄ばんでいる。
 葬儀に集まったのは、息子夫婦と孫、近所の婦人会の数人。
 静かな、あたたかい時間のなかに、湿度のような感情が漂っていた。

 

 白木の棺の横に、小ぶりな骨壺が置かれる。
 遺影には、目尻に深い皺を刻んだ笑顔の老女。

 出棺の準備中、旅人は骨壺の上に載せる白布を取り出した。
 それは、事務所の準備室で美月が折り目を整えていたものだった。
 何も言わずに渡されたその布は、まるで“心をかけた無言の言葉”のようだった。

 

 (きっちりしすぎず、けれど乱れのない角。あの人らしい手やな……)

 

 旅人は、田代に白布をそっと渡した。

 

 「これ、美月さんが整えてくれた分や。……丁寧に扱えば、気持ちは伝わる」

 「……持ちます」

 

 式が終わり、出棺直前。
 田代は旅人を見て、深くうなずくと、両手を前に差し出した。
 その指先はかすかに震えていた。
 だがそれ以上に、“掴もう”とする意志の力が強かった。

 

 旅人は、壺の縁に手を添えたあと、言った。

 

 「緊張はええことや。震える手は、誰かを大切に持とうとしてる証やで」

 

 田代は、何も返さず、目を閉じてから静かに骨壺を抱いた。

 

 その瞬間、旅人の胸に、過去の記憶が蘇る。

 ——自分もかつて、誰にも見せたくなかったほど震えた。
 葬儀という“他人の悲しみ”の中に、立っていいのか迷ったまま、
 それでも「預かります」と声を出した、あの冬の日。

 

 霊柩車の扉が閉まるまでのあいだ、田代は一言も発さなかった。
 でも、壺を抱いた両腕の角度は、まるで壺の中に“重みだけでない何か”を抱えているようだった。

霊柩車のドアが閉まり、搬送スタッフが礼を交わして戻っていく。
 その奥、控え室のカーテンの隙間から三好佳乃が少しだけ顔をのぞかせていた
 大きく手を振るでもなく、声をかけるでもなく、
 ただ、うなずいていた。

 

 田代がそれに気づいたかどうかは、わからない。
 けれど、その視線は、たしかに“見守っていた人のまなざし”だった。

 

 その帰り道、田代がぽつりと話しはじめた。

 

 「……自分の父親が亡くなったの、二年前なんです」
 「……そのとき、僕……何もできなかったんです。ただ見てるだけで」
 「だから、この仕事、選んだんです。何か、できた気がしたかったんです」

 

 旅人は立ち止まって、振り返った。

 

 「今日の君の“持ち方”、よかったと思うよ。
 あれは“何かを渡された人”の持ち方やった」

 

 田代は、その言葉に目を伏せて、深く一礼した。
 どこか、ようやく“帰ってこられた人”のような、静かな顔をしていた。

ー事務所の夜、美月との会話ー

その日の業務を終え、旅人が最後の報告書をパソコンに打ち込んでいると、
 隣の席に座っていた美月がふと、声を落とした。

 

 「田代くん、どやった?」

 

 旅人は手を止めて、画面の端を見つめたまま答えた。

 

 「ようやってたよ。……めっちゃ緊張してたけどな。震えとった」

 

 美月は少し笑ったあと、封筒の角を撫でながらぽつりと言った。

 

 「背広のボタン、朝、自分で縫い直してたんよ。ほどけかけててな。
 “このままじゃ、持ったときずれそうです”って言うから。えらい律儀やなぁ思て」

 

 「……あいつ、ちゃんと持ってたよ。
 あんな震える手でも、“預かります”って気持ちが伝わる持ち方してた」

 

 美月は少しだけ、まぶたを閉じた。

 

 「ほんなら、もう大丈夫やな。次からは自分で立てるやろ」

 

 旅人は、なぜかその言葉に、胸の奥が少し熱くなるのを感じた。

 

 ——“大丈夫”。
 その言葉を、美月は決して本人には言わなかった。
 だからこそ、その言葉には、静かな信頼が宿っていた。

 その夜、旅人は黒革の手帳にこう記した。

1995年11月20日。若き田代蓮、初めての骨壺。
小生、見守る立場にありながら、あの日の自分を重ねていた。

両手の震えは、弱さではなく“手放したくないもの”への祈りの証だった。
若い彼の指先は、たしかに亡き人を運んでいたが、それ以上に“自分の過去”を抱きしめていたように見えた。

——思えば、小生もまた、“できなかったこと”からこの仕事を始めた。
あのとき父にかけられなかった言葉。
あのとき母の手を握れなかったこと。

田代の背中を見ながら、ふと胸の奥に鈍い光が差した。

誰かの“最初の一歩”を見届けることは、小生にとって、
“言えなかった言葉を、自分の代わりに運んでもらうこと”なのかもしれぬ。

見守ることは、育てることではない。
見届けることは、預けることに似ている。

今日、小生は祈りを“渡した”。
そして、たしかに“受け取られた”。

……気づけば、小生のまわりには、“言葉で支える人”たちがいる。
美月が整えた布の折り目。佳乃の沈黙の頷き。
言葉より先に、そういう手つきが“祈りの輪郭”を教えてくれる。

目次

出棺式の翌朝、準備室にて

出棺式の翌朝、準備室にて

翌朝、準備室の隅でアイロンをかけていた美月のもとに、田代蓮がそっと近づいた。

 

 「……あの、昨日、ありがとうございました」

 

 美月は少し手を止め、蒸気の音にまぎれるような小さな声で返した。

 

 「何が?」

 

 「白布、整えてくださったやつ……。すごく……助かりました」

 

 「旅人さんが言うてたん?」

 

 田代は少しだけうなずいた。美月はアイロンを止めて、田代をちらと見た。

 

 「……うまくいった?」

 

 「……わかりません。でも……持ってるあいだ、何も考えられなかったです」

 

 美月はそれを聞いて、少しだけ笑った。

 

 「それ、“うまくいった”ってことやと思うで」

 

 「……ほんまに、そうですか?」

 

 「緊張しながらも集中できたんなら、それだけで十分や。
 そんなん、最初はみんなできへんもん。……うちも、ぜんぜんやったし」

 

 田代は少し目を見開いた。
 いつも落ち着いている美月の「ぜんぜんできなかった」という言葉が、どこか信じられなかった。

 

 「美月さんが、ですか?」

 

 「うん。……よう震えたよ、ほんまに。
 でもな、不思議と“忘れられへん顔”だけ、いまもはっきり残ってる」

 

 その言葉に、田代はしばらく黙ったまま、ゆっくりとうなずいた。

 

 「……僕も、忘れないと思います。あの人のご家族の顔。
 なんでか、すごく静かで、あったかくて」

 

 美月は、軽くアイロンを畳み、こう言った。

 

 「せやな。人の“最後の顔”より、“送った人の顔”の方が、心に残るんかもな」

 

 二人のあいだに、アイロン台の湯気だけがゆっくりと立ちのぼっていた。

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この記事を書いた人

悠々自適なアラフィフライフを楽しむ"よこみ"との何気ない日々を綴るブログ。

こんにちは!私たちは、アラフィフの"Tabibito"と、パートナーの"よこみ"です。充実した人生を送りながら、穏やかな時間を共に過ごしています。

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