突然の訃報により、旅人は大阪へ帰る。父の死を受け止めきれぬまま向かった墓前で、彼はかつて果たせなかった“対話”と向き合うことになる――。
― 旅人、大阪へ帰郷す ―
電話は、早朝に鳴った。
灰色の空が、窓の外でじわりと明るくなりはじめた頃。
旅人は、受話器の向こうにいる姉の声をただ聞いていた。
「……今朝、病院で息を引き取った。お父ちゃん、ひとことも話さんと、あっさりやった」
その言葉に、感情は湧かなかった。
ただ、体の奥が急に空洞になったような感覚だけが残った。
数日後。
旅人は新幹線に揺られ、久しぶりに大阪の街に降り立った。
秋の風がどこか冷たく、駅の階段を降りるたびに“過去”の匂いが立ち上がってきた。
父が眠る墓は、小さな丘の斜面にある共同墓地の一角にあった。
草は伸び、石碑は少し傾いていた。
手には、ひと束の菊と線香。
墓前に立っても、言葉は出てこなかった。
「……親父」
そう、ぽつりと呼んだ。
「俺、今、葬儀の仕事してる」
声が風に流れた。
どこかおかしくて、旅人は少し笑った。
ふと、かつて父と交わした最後の“まともな会話”がよみがえった。
あれは、東京へ出る前夜。
ちゃぶ台の向こう側、湯呑みを持った父は、新聞をたたみながらぼそっと言った。
「仕事いうんはな、“人の前で手ぇ抜いたら終わり”やぞ」
旅人は何も返さず、ただ視線を伏せていた。
「見てるやつ、おらんようで、よう見てる。誰がって? 自分や。自分の心が見とるんや」
そのとき、旅人は反発しか感じなかった。
“手ぇ抜かずにやってきたのに、なんでそれを言われるんや”と、胸がつかえていた。
けれど、今は違う。
今の旅人は、その言葉が“働くこと”だけでなく、“人を見送ること”に向けられていたのではないかと思う。
派手な言葉を残す人ではなかった父。
でも、あの短いひとことの中に、言い切れなかった“人生哲学”が確かに宿っていた。
「昔、よう言われたな。『人の死ばっかり見て、どんな人生になるんや』って。
……でもな、いまの俺、ようやく“誰かの死”をちゃんと見送れるようになってるかもしれん」
墓石は何も言わない。
けれど、沈黙のなかに、いくつかの言葉が浮かんでは消えていく。
「親父……あんたがよう言ってた“立つんはええけど、逃げんな”って言葉。
あれ、ずっと腹立ってたけど、いま思えば、……よう守ってたわ、俺」
その瞬間、目頭がわずかに熱くなった。
もう会えない。もう返事はない。
だからこそ、やっと言える言葉がある。
「……ありがとう、とは言わん。けど、俺は、ちゃんとやってるで」
線香を焚き、手を合わせた。
秋の風がひとつ吹いて、花の香がわずかに揺れた。
その夜、大阪の簡素なビジネスホテルで、旅人は黒革の手帳を開いた。
1995年10月27日、大阪。
小生、父の墓前に立つ。
対話は、終わったのではなく、途中で途切れた。
生きていたときには届かなかった言葉を、ようやく手向ける。
墓は返事をくれないが、沈黙は耳を澄ませれば、何かを返してくる。
今日は、“返らない問い”の前に立った日。
部屋の灯りを消すと、天井に都会の光がぼんやりと映っていた。
そのかすかな明るさが、今夜はなぜか、ぬくもりのように思えた。
