2001年夏。大阪市内の葬儀社「やすらぎセレモニー」のオフィスには、今日もまた様々な感情が渦巻いていた。小生は27歳。この会社に入って半年になる。まだまだ若輩者だが、社長からは「お前は、お客さんの話を最後まで聞けるええ耳を持ってる」と褒められることが、ささやかな自信に繋がっていた。
小生は元不動産販売の営業マンだった。巧みな話術で契約を取り付け、それなりの成績を上げていた。だが、半年前の1995年1月17日午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災は、私の価値観を根底から揺るがした。一瞬にして人々の静かな日常が奪われ、多くの命が失われる現実を目の当たりにし、「人の最期」というものに深く向き合わざるを得なくなったのだ。
人の営みの終着点に、もっと真摯に関わりたい。そう思い、葬儀社への転職を決めた。
今日担当したのは、先日お父様を亡くされたばかりの田中さんご家族。事務所の応接室で、しんみりとした空気が漂う中、私はまず「お父様はどんな方でしたか?」と、穏やかに尋ねた。葬儀の具体的な打ち合わせに入る前に、故人様のお人柄や生前のエピソードをじっくりお聞きするのが私の流儀だ。だって、そうでしょう?故人様を送り出すのは、その人の人生そのものを見送ることに他ならないのだから。
田中さんの奥様は、最初は涙をこらえながら、夫がどれほど家族を大切にしたか、真面目で優しい人だったかを語られた。その隣で、長男さんが口を開く。「でもね、父さんは、本当にいたずら好きでね。昔、僕らが子供の頃、夏休みに家族旅行で北海道に行った時、父さんが宿で僕らの枕の下にこっそりイカの塩辛を仕込んでて……。朝起きたら、部屋中が強烈な匂い(笑)。みんなで顔を見合わせて、大爆笑しましたよ。」
長男さんは、話しながら堰を切ったように笑い出した。奥様も、最初は「もう、あの人は!」と呆れた顔をしていたが、やがてくすくすと笑い声を漏らす。その光景を見ながら、私は静かに頷いた。ああ、そうか。悲しみだけが、故人を偲ぶ形じゃないんだ。こんな風に、故人との温かい思い出を分かち合い、笑い合えることもまた、大切な弔いの形なのだ。
「本当に、お父様らしいエピソードですね。きっと、ご家族を驚かせて、笑顔にしたかったんでしょうね。」
そう言葉を挟むと、奥様と長男さんは、さらにたくさんの思い出話を語ってくれた。私もその一つ一つに耳を傾け、相槌を打ち、時には共感の笑みを浮かべる。
「すこしでもお客さんの心に寄り添える担当者でありたい」――これは、私がこの仕事を始めてからずっと胸に抱き続けている、口癖のような信条だ。遺族の方々が抱える様々な感情の渦の中で、私ができること。それは、ただ黙って、その悲しみも、喜びも、全てを受け止めることなのかもしれない。
打ち合わせが終わり、田中さん宅を出る頃には、すっかり日が暮れていた。肩の力を抜くと、どっと一日の疲れが押し寄せる。でも、今日の田中さんご家族の笑顔を思い出すと、心の中には温かいものが残った。
大阪のオフィス街を抜けて、自宅へと向かう車に揺られる。夏の夜の街は、車内からみえるネオンが眩しく、スクランブル交差点では行き交う人々の話し声が響いていた。
