――午後の葬儀社は、夏の光に包まれていた。蝉の声は遠くで途切れ途切れに響き、熱気を含んだ風が事務所の窓をわずかに揺らす。その静けさの中で、風野旅人は“祈り”という言葉の重みを改めて知ることになる。
1995年8月5日 午後3時。東京は猛暑だった。アスファルトの照り返しが足元にまとわりつき、空の色は白く霞んでいた。旅人は額の汗を拭き、明治葬儀社の引き戸を開けると、白檀の香と冷房の冷気がほっとする安堵を運んだ。
「暑かったでしょう?」杉原が冷たいお茶を手渡し、神田は帳簿から目を上げただけで「おう」と短く声をかけた。窓の外からは、商店街の有線スピーカーで流れる「LOVE LOVE LOVE」の旋律が微かに届いていた。
そのとき、引き戸の音とともに、二人の僧の姿が現れた。淡い鼠色の法衣をまとい、柔和な表情の中に芯の強さを感じさせる男が一歩進んだ。「これは、暑い中お邪魔いたします。久遠寺智信でございます。」その脇に立つのは、若い副住職、恵悟だった。「父の手伝いで参りました、恵悟です。お世話になります。」
旅人は一歩前に出て、深く頭を下げた。「風野旅人と申します。初めてお目にかかります。本日お越しいただきありがとうございます。至らぬことも多いかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。」智信はその姿を穏やかに見つめ、小さくうなずいた。「そのような誠意が、何より大切なものです。」恵悟も軽く頭を下げ、「こちらこそよろしくお願いします」と応じた。美月はそのやり取りを見守り、旅人の初々しさと誠実さに目を細めた。
美月が応接へと案内し、神田は黙って冷茶とおしぼりを運んだ。旅人も無言でその動きを手伝った。
智信は穏やかな声で語り始めた。「陣中見舞いを兼ねまして。今年のお盆は、例年と少し様子が異なりましょう。震災のこともあり、祈りが深まっている方が多いように感じます。」恵悟がうなずき、少し緊張気味に口を開いた。「送り火、迎え火の意味も改めて皆さんに伝わればと、父と話しておりました。」
旅人はその言葉に、不思議な重みを感じていた。(送り火。迎え火。ただの儀式だと思っていた。でも、誰かのために火を灯す行為が、こうして語られると、重みがある……。)
美月は落ち着いた声で返した。「震災のとき、谷中でもいくつかお宅で迎え火を灯されていました。小さな祈りが重なっていくのを、私も感じました。」智信は穏やかに目を細めた。「その光景が、地域の絆を静かに繋いでいくのですな。」
旅人の胸の奥に、遠い記憶が蘇った。幼いころ、祖父母の家の前で母に手を引かれ、迎え火の火を見た夜。その火の揺らめきに、何を祈ったのかも覚えていない。ただ、あのときの夜風の匂いと、祖母の手の温かさだけが胸に残っている。(俺は、今その火を送る側にいるんだ……。)
智信は続けた。「葬儀社の皆さまは、送りの役を担う方々。その心を支えることが、私たち寺の務めでございます。」旅人はその横顔を見つめ、(この人の声の奥には、きっと数えきれない祈りの光景がある……。)と胸の奥で感じた。
【黒革の手帳 1995年8月5日】
夏の光に包まれた社屋。住職の語った送り火、迎え火の話。初対面の挨拶で感じた背筋の伸びる思い。「そのような誠意が大切」との言葉が耳に残っている。商店街に流れたLOVE LOVE LOVEの旋律。祈ること、送ること、その意味を考え続けている。小生、風野旅人。
とある無宗教葬の現場で、美月は“葬儀とは何か”という問いに直面する。形式ではない、声でもない、その瞬間だけに浮かび上がる“灯り”の意味――旅人と美月は、その日、初めて葬儀の中心にある「余白」に触れる。
― 美月、儀式を越えて ―
朝から晴れていた。
雨の名残がわずかにアスファルトを湿らせていたが、空はよく晴れていて、蝉の声が街を震わせていた。
「今日は無宗教の式やねん」
出発前、川口茉莉がふと呟いた。
「お経もないし、宗教者も来えへん。演出も式次第も、全部“ご遺族の希望どおり”。けどな、そういうときほど難しいんよ」
旅人は静かに頷いた。
何が“正しい”のかがない場所で、どんな“形”を作るか――
それは“祈り”を職業とする人間にとって、もっとも繊細な問いだった。
式場の花祭壇には、淡いピンクと白の百合、菊、カーネーションが規則なく配置されていた。中央に遺影。やわらかく微笑んだ、若い女性。享年三十三。病との闘いの末だった。
喪主は父親。背筋をぴんと伸ばしながらも、眼鏡の奥ににじむ涙を必死に堪えていた。
母親は祭壇の前に立ったまま、何度も胸元で手を組み直していた。
旅人が準備に走り回るなか、美月は珍しく進行役を担っていた。
司会台に立ち、静かな声で告げる。
「本日は、儀式ではなく――“手向け”として、故人との時間を振り返っていただく会となります」
声は柔らかく、しかし澄んでいた。
会場には、音楽も流れなかった。
ただ、遺族が選んだスライドがスクリーンに映し出された。
少女の頃の笑顔。高校の卒業式。大学の研究室。
友人たちとの談笑、闘病中の誕生日。
そして、最期に家族と写った、すこし痩せた横顔――
旅人は進行の補助をしながら、その一枚一枚に見入っていた。
そこには、何も説明のない「時間」があった。
だが、その沈黙のなかで、参列者は皆、少しずつ涙を拭っていた。
やがて、父親がゆっくりと立ち上がった。
マイクも使わず、ただ小さな声で語った。
「……娘は、生きることがうまかったわけではありません。
でも、よく笑いました。
最期まで、自分で選んだ薬を飲み、自分で決めた時間に横になりました。
自分の死に方すら、自分らしくしようとしました」
そこには“哀しみ”よりも、“受け入れる力”があった。
祭壇の灯りが、まるで生者と死者の間にある“通路”のように、彼をやさしく照らしていた。
式が終わったあと、旅人は会場の片づけを手伝いながら、美月の姿を探した。
彼女は祭壇の隅に腰をかけ、やわらかく目を伏せていた。
「……何も言わなくても、伝わるんですね」
ぽつりと旅人が言うと、美月は少しだけ微笑んだ。
「うん。でもね、“言葉を超える時間”には、“余白”が要る。
それを準備するのが、私たちの役目なんやと思う」
旅人は、その言葉を静かに飲み込んだ。
今日の式に「形式」はなかった。
けれども、そこには“深く確かなもの”があった。
それは――人と人との「まなざし」だった。
その夜、黒革の手帳に旅人はこう書いた。
1995年8月5日。晴れ。無宗教葬。
小生、言葉の少ない式に触れ、心の深さを知る。
儀式の不在は、空白ではない。
それは、“生きた時間”を見つめる余白だった。
美月の声は、静かな祈りだった。
窓の外には、夜風がゆっくりと吹いていた。
蝉の声は遠のき、東京の街がようやく眠りにつこうとしていた。
