明治葬儀社に届けられた一通の封筒には、一枚の古びた白黒写真と、未投函の手紙が入っていた。旅人が読み解くのは、“残された言葉”の重さと、“語られなかった声”の存在――。
― 遺影の裏に残された記録と、声にならなかった言葉 ―
午後の光が事務所の窓際に傾きはじめた頃、川口茉莉が一通の封筒を手に、旅人のデスクへやってきた。
「これ……今日届いてた。差出人はないけど、旅人さん宛やって」
旅人は一礼し、封筒を受け取った。 表には細い万年筆の文字で「風野様」とだけ。裏面には何も書かれていない。
そっと中を開くと、古びた白黒写真が一枚と、折られた便箋が入っていた。
写真には、昭和の終わり頃と思しき町の一角、和服姿の中年女性がこちらに背を向けて立っている。 少し先には、誰かがこちらに手を振っている姿も映っている。だが、どこか遠い。
便箋には、こう綴られていた。
「お世話になりました。母が生前、『この写真だけは残しておいて』と言っていました。 理由は分かりません。でも、葬儀のあとに思い出したんです。 あのとき、旅人さんが黙って差し出した花、それを見て母は少しだけ笑ったんです。 きっと、声にならなかった何かが、そのとき母に届いたんだと思います」
読みながら、旅人はまぶたの裏に、うっすらと微笑む老婦人の姿を思い出した。 静かで、声をほとんど発さなかった女性。喪主は娘で、病院から直接斎場に運ばれたという。
あの日、旅人が棺の脇に添えたのは、小さな一輪の椿だった。 寒さに強く、冬の式にはよく似合う。
(……あの笑みは、たしかに見た。誰にも言ってへんかったけど)
彼は写真をそっと机に置き、便箋を折り直す。 その背後から、静かに近づいてきた美月が声をかけた。
「どうしたん、その顔」
「……写真、やねん」
美月が肩越しにのぞき込み、目を細めた。
「これ、ええ写真やな。誰かに見せたかったんやろな、この風景」
旅人は、ふとつぶやいた。
「見せたかったんとちゃうかな。“聞いてほしかった”んかもしれん」
「……声にならんかった言葉、か」
「うん。写真って、そういう“声”を閉じ込めとるんかもな」
その夜、旅人は黒革の手帳に記す。
1995年12月6日。無記名の手紙と写真。老婦人の微笑。 声に出ない思いは、確かに誰かに届くことがある。 言葉より先に、手渡された風景が残る。 小生、今日ひとつ思う。“祈り”とは、声ではなく、残る風だ。 写真は、その風が吹いた痕跡かもしれぬ。
窓の外で風がカーテンをゆっくり揺らしていた。旅人は小さく目を閉じた。
